親鸞聖人御影の修復

 

@ 隆照寺蔵 西光寺伝 親鸞聖人御影

 隆照寺は一風変わった親鸞聖人の御影を所蔵しており、現在その修復を行っています。真向きの全身を捉えた像容で、その由緒は長らく不詳でありましたが、付された銘板には「旅立の御真影 西光寺㊞」と記されているのです。先ごろ葛飾区に点在する聖人の旧跡を調査したところ、宝町の西光寺(真言宗)にこの版画の元となった版木が伝えられていることがわかりました。

 

修復へお出掛けになられる前の御影

 

 

 

A 親鸞聖人と西光寺

 調査のきっかけは『築地本願寺新報(2019年)』への記事を執筆するための取材でした。拙稿ではありますが誌面より西光寺に関する箇所を抜粋して転載します。

 

 

 

 

国土地理院の電子地形図に寺院の場所を追記して掲載

 

渋江村と宝木塚村の西光寺

 聖人は関東へ入られてから数年の後、常陸国笠間郡稲田郷(現 茨城県笠間市)に草庵を結ばれました。

 45歳のある日、ご自坊と幕府のある鎌倉とのおよそ中間に位置する、下総国葛飾郡渋江村(現 葛飾区四つ木)を訪れました。渋江村には、葛西清重の屋敷がありました。頼朝亡き後、御家人の権力闘争によって三代将軍実朝が謀殺され、源氏の嫡流が絶えた折には出家し定蓮と名乗っています。降りしきる雨の中、隠棲し還暦を迎えた清重の館を訪れた聖人は53日の逗留をされました。その間、清重は仏教に関わる問いや日ごろの生活における様々な悩みを直に聖人へ尋ねながら、時には涙を堪え、教えを聞いては喜び、念仏を称えつつ過ごした事でしょう。清重は聖人から西光坊の法号を授かり、直筆の本尊を受けました。また清重邸からおよそ1キロの距離にある、現在の葛飾区宝町の僧侶も事を聞き及び、参上して聖人の教化に帰依し直筆の本尊を貰い受けました。そして聖人は後に僧侶の居所を訪れ、一本の松の木をご覧になりながら「松の字は十八公と解けば阿弥陀如来の十八願に通じる」と、袈裟を掛けたといいます。村人たちはこの松を宝の木と称して尊びました。これが当地宝木塚村の由来となり、現在は葛飾区宝町という名にそのいわれを残しています。

 『教行信証』に見える「わが元仁元年」は、この一件から7年の後にあたり、同年と翌年に二つの西光寺は相次いで創立されています。健脚に関東一円を廻られた聖人は、たびたびこの地を訪れ有縁の方々と談笑を交えつつ、一方では『教行信証』の制作に勤しまれていた事でしょう。

 二箇寺を含む一帯は水郷地帯で、以降何度も水害に見舞われました。また国府台合戦をはじめとした戦火によって荒廃し、無住の期間もありました。しかし各寺とも後に住職を迎え、渋江村 西光寺は浅草寺伝法院末の天台宗に、また宝木塚村 西光寺は青戸 宝持院末の真言宗豊山派へと宗旨が改まって相続されています。

 

他宗での報恩講

 特筆すべきなのは、他宗の寺院となってからも近年に至るまで親鸞聖人の報恩講法要が両堂においてそれぞれ営まれてきた事です。

 江戸時代の『遊歴雑記』はその賑わいぶりを次のように伝えています。

「渋江村 西光寺の日間の報恩講には、どこからともなく人が集ってきます。首からぶら下げた鉦を打ち声明に勤しむ者、ひたすら念仏を称える者、坂東曲(聖人御作和讃の情熱的な節回し)を唱える者もいます。通りでは小銭を乞い、それを賽銭として供える人もいます。本堂は61人の老若男女が寿司詰めで、正面に掛けられた直筆の本尊へ参っています」

「宝町西光寺は、本堂の内陣左側に聖人直筆の本尊を掛けてあります。年月を重ねた故の劣化と、仕舞う時の損傷で本尊はだいぶくたびれています。けれども村中の人々が集まり、隣村や渋江村からも人が代わるがわるにやって来ては参拝しています」

 

 

 

 

B 隆照寺の沿革

 隆照寺の草創は、播州但馬より開教(新寺を設けて浄土真宗の門戸を開くこと)を志した初代住職・小柴隆信が1935(昭和10)年に本願寺派布教使の任用を受け、葛飾区小谷野町へ仏教教育に根差した幼稚園を併設する説教所を開いた事に端を発します。1968(昭和43)年に早逝しましたから、西光寺との因縁を訊くには及びませんでしたが、先述の当地に息づく聖人の土徳を知って寺基を定め、聖人の足跡を訪ねて西光寺へ追慕し、御影をお迎えするに至ったのではなかろうかと推察しています。

*1964(昭和39)年まで、現在の堀切の一部は、「小谷野町」という地名でした。

 

修復前の御影を厨子へ納めたところ

 

 

 

C 御影の厨子

 さて宝町の西光寺を訪ねたところ住職は次へ代が替わり、現在となっては安置されていた親鸞聖人の御影や版木の行方も知れず、また老朽化した脇檀(親鸞聖人の御影が安置されていたと思しき部分)の厨子(ずし:尊像を納める両扉の収納具)を新調して真言宗の形へ改める予定であるということから、隆照寺に旧来の厨子をお迎えする事となりました。

 厨子の扉には浄土真宗に所縁の藤や牡丹の紋が施されており、宗旨を別異にしながらも親鸞聖人の故実をご在世の往時から大事に伝持なされた先達方のひとかたならぬ思いが偲ばれます。

 

 

 

D 御影の修復

 この度の御影の修復は、北郷悟先生(東京藝術大学名誉教授)及び津田徹英先生(青山学院大学教授)の御指南を仰ぎ、装こう師の山口聰太郎氏へ依頼を致しました。この一歩を踏み出せたのは、御寄進を申し出て下さった御門徒懇志の賜物であります。思えば今年は親鸞聖人御誕生850年および立教開宗800年の節目であり、本願寺では慶讃法要が賑賑しく勤まりました。来る11月3日(文化の日)には、修復の進捗にもよりますが、望むらくは隆照寺の本堂へお帰り遊ばされます御影の尊前に報恩講を勤め、当寺と縁を結ばれました皆さまとのご対面がかないますよう強く念じるばかりです。

 

2023(令和5)8月 住職拝

 

 

 

 

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